「激戦 統一地方選」に記事掲載~枚方市党の歴史を胸に
2018年 10月 09日
10月2日付「しんぶん赤旗」の近畿版「激戦 統一地方選」に掲載されました。
大阪府議会議員88名中、枚方選挙区は、4名の定数です。
歴史を振り返れば、はじめて日本共産党の府議会議席を、枚方で獲得したのは、もろた達夫さんです。1975年のことです。なんと私が生まれた年です。
初議席を獲得したのは1975年ですが、府議会議席への挑戦は、その4年前、1971年です。
もろた達夫さんは、枚方市議会議員として活躍されていました。初当選は、1967年。新人候補でしたが、トップ当選(2886票獲得)をされました。これで、枚方市議会で、野村伊三郎さんと、もろた達夫さんの2議席となりました。
※野村伊三郎さんは、1957年の第3回いっせい地方選挙で、初当選された議員であり、枚方の日本共産党をつくってきた方です。選挙事務所は小さな部屋。リヤカーに放送機材をつんで歩いて市内を演説にまわって奮闘された大先輩です。
1971年。当時、定数2の府議会議席を獲得しようと、市会議員だった、もろた達夫さんが、挑戦をしますが、惜しくも3位。
落選がきまったその日から、後援会役員会を開き、4年後の勝利を目指して、日常的な活動に取り組み始められました。
同時に行われた枚方市会議員選挙では、2議席から、4議席に、日本共産党は倍増する結果をつくりだしました。
その後、さまざまな市民運動や団体が活動を粘り強くおこない、日本共産党も市民のみなさんと要求実現に取り組む中で、1975年。もろた達夫さんの府議会初当選となります。
もろた達夫さんは、21年間、府議会議員として奮闘され、府議団の幹事長もされてきましたが、1996年6月に、病気のためお亡くなりになりました。
その年の10月に、自民党の現職が衆議院選挙に出馬することとなり、枚方の府議会議席を争って補欠選挙がおこなわれました。
3人で、2議席を争う選挙で、市会議員だった黒田まさ子が、府議会に挑戦し、49,998票を獲得しますが、わずか53票差で次点。
その後、必死の努力と奮闘を積み重ね、1999年いっせい地方選挙で、黒田まさ子さんが府議会選挙、トップ当選をされました。
歴史を振り返れば、平坦な道のりはありません。紆余曲折を経ながらも、市民のみなさんに寄り添い、努力する中で、悔しい結果から前進をつくりだしてきたのが、枚方市の日本共産党の歴史です。
私も、その歴史を胸に刻み、奮闘する決意です。
by shoot128
| 2018-10-09 11:27
| 地域を走る
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